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2020/01/19 01:24

あの夜を境にして、私の人生はまったく新しいものに変ってしまった。
それは、忘れもしない27歳の8月のある夜のこと。
当時、私は全てが上手くいかず、人生に行き詰まっていた。
絶望の淵を彷徨いながら、心がギリギリの状態で何とか生きていた。
ある日の夜中、街中を歩いていた私は、ついに限界に達して、生まれて初めて「全てが嫌だ、もう生きていたくない...」と心の中で何度も叫んだ。
「死にたい」という言葉は出なかった。
なぜなら、自ら死を選べば、ゲームはリセットされるが、また同じところから、同じ苦しみを持って再スタートすることになると分かっていたからだ。
ただ、人生に絶望しているのは事実であり、「生きる」ということを全力で拒否しようとしている自分がいたのは確かだった。
何度も何度も狂ったように「もう生きていたくない」と泣きながら叫んでいた時だ。
ふと、一瞬だけ時が止まったように感じた。
そして、次の瞬間、心の中に光が現れ、360度全方向に強烈な光を発し始めた。
何が起こっているか分からないまま、私はその場に呆然と立ち尽くした。
5分くらい経っただろうか、光は徐々に弱まり、ついに心から消えた。
「あれは何だったんだ...」
この不思議な出来事に唖然とした私は、さっきまで絶望に打ちひしがれていた自分を思い出せなくなっていた。
それと同時に、絶望していた自分がなぜだか馬鹿らしくなった。
私がこの夜に経験した光というのが、後になって神の光だということが分かった。
神は、私達が本気で求めれば必ず助けに来てくれる。
あなたが善人でも、悪人でも関係ない。
神はすべての人の心の中にいる。
しかし、私達は神の存在に気づいていない。
神は、いないのではない。
私達が神の存在に気づいていないだけなのだ。
私が神の存在に気づいたのは、この世に幸せを見出せず絶望したからだ。
私の人生のシナリオでは、「27歳の8月に神の存在を思い出す」と生まれる前から決まっていたのだろう。
この夜を境に、私は神を求めるようになった。
そんな中で、ラマナ・マハルシ、マーター・アムリタナンダマイーの存在を知り、奇跡講座(英語名 A course in miracles)にも出会った。
そして、今では奇跡講座の実践が私の人生の大きなウェートを占めるようになった。
この記事を読んでいるあなたも、すでに神の存在に気づいているかもしれない。
もし、まだ気づいていない人でも、遅かれ早かれ必ず気づくであろう。
なぜなら、それが私たちのミッションであり、神の救済計画だからだ。
神の存在なくして、真の幸せはあり得ない。
ゆえに、神と共にある私たちは、幸せ以外のなにものでもないということだ。
私たちは今日も、神の愛に包まれながら、幸せな時を生きている。
それを忘れないでいたい。